ニキビケアサロン「oliss」のオープンから約9年。私たちはニキビに悩む多くの方に寄り添いながら、これまで歩んできました。昨年代表が髙橋に代わり、再スタートの時。髙橋へのインタビューを通して、ANYで大切にしている考え方や想いをお伝えしていきます。
Interviewer:松橋 佳澄
olissマネージャー
小学生のときから夢は美容の仕事をすること。私の夢がぶれなかった理由は、誰よりも、ニキビに悩み続けたから。前職では、美容部員を経験し、接客を通して日々お客様とのコミュニケーションや肌の悩み別に化粧品をお勧めし毎日が楽しくて仕方がありませんでした。ある日、【自分の技術で肌をきれいにする仕事がしたい】と思い立ち、弊社に転職。誰よりも、自分自身がニキビに悩み続けた過去があるからこそ、綺麗への探究心は負けません。\現在は、プレイヤーを卒業し、本部マネージャーとして、採用、人事、新人研修、経理、企画、など、オールマイティに仕事をさせていただいてます。
中学のときはとても天狗だった。普通に学生生活を送っていたらあまり関わらないような人達とも交流があったからずいぶん裏の社会も見てきたと思う。社会や大人も見下していたしね。
中学3年生になって、その頃、進路相談があったから先生にこう言い放ったの。「これ以上学校で学ぶことはない、だからわたしはもう社会で生きていける」
ー 啖呵切っちゃったんですね!
そしたら案の定咎められて。「おまえは馬鹿か 親が泣くぞ。」って
この頃、家族関係も悪化していた。これまで真面目に学業に励んでいた娘が一変していく姿を見て、両親はとても思い悩んでいたと思う。一時期はうつ状態になってしまうくらい本当に心配かけたなー。
ー 親御さんもきっと何かが崩れ落ちてしまったんですかね。。。
そんな状況でわたしは流されるように担任の勧めもあって、半ば強引に近所の高校に願書を提出された。その高校は地区内ではかなり人気の高校で、倍率も高かったから受験者も多くて顔見知りの同級生も多かった。
乗り気ではなかったけど学業には自信があったから受験の結果は一次合格。正直余裕だった。
でも、周りの同級生達はどんどん受験に失敗して、定時制や他の進路に進んでいった。
この光景を見て私の天狗になっている気持ちに拍車がかかった。こころの中では「進学したくなかったけど仕方なくした。でもこれでまた私が社会で通用するという証明が増えた」そう思ってみるみる調子に乗ってしまった。
入学早々、何を思ったのか髪を金髪に染め上げ登校した。その姿は学校で話題になりたちまち教員や保護者からも厳しい視線と注意が注がれた。
ー あの頃って無敵なんですよね。
その結果、せっかく進学した高校は入学式早々 問題児 としてのレッテルを貼られてしまう始末。一時は登校停止になって学校に行くことも許されなかった。
それを知った両親はさらに悲しんだ。受験に失敗した同級生達にはたちまちわたしの素行が噂になって気が付いたら友達もみんな離れていった。一方わたしは、学校にどんどん馴染めなくなって、心も退屈する日々だった。そうこうしているうちに学校からも自然と足が遠のいていった。
ー 学校、行かなくなってしまったんですね。
そんな毎日を送る中で 街でたまたま配っていたエステのチラシが目に入った。その1枚のチラシが私の人生を大きく変えるきっかけになったんだ。
→5に続く